感覚
いつものようにご無沙汰しているうちに季節は進み、我が家の庭もすっかり様変わりしてしまいました。
今年とても元気に花を咲かせたミニバラ。「ミニバラ」のハズなのに1mを超える勢い。
皆さま、お変わりないでしょうか。
私はと言えば、更新はしないものの旬を逃した写真ばかりが溜まってゆき、
一体どうすべかなコレ。
なんて思いながら一杯飲んで寝てしまう悩ましい日々(悩んでない)。
バラ「ニコール」、これも今年とっても元気!
結局、旬を逃したものも含め、こんな風に混ぜ込んで素知らぬ顔で載せてしまえと目論んでいるわけですが、本日はそれに加えてちょっと普段と毛色の違うことも書かせていただこうかと。
トロリウス・キネンシス「ゴールデンクイーン」、別名カンムリキンバイ
今まで読んでくださっている方は何となく感じていらっしゃるかもしれませんがワタクシ、基本あまりカタイ文章を書くのが好きではありません。
出来ればなるべくふざけていたい。
文章に限らず、それが私のモットーと言えばモットーなのですが、これから書こうとする内容にあまりふざける余地がなく少々重たくなるのをご容赦いただきたいと思います。
「そんな辛気くさいのヤダ!( ̄皿 ̄)」
という方は、回れ右か後半の庭の写真までワープ!!していただければみんな幸せになれますので何卒。
「脚は短くないんだからね」のアピール
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最近更新されたある方の記事を、私は安堵の気持ちで読んでいました。
いつも仲良くしてくださっている方のブログがある日ふっつりと途絶えてしまい、何となく落ち着かない気持ちでいたところに1ヶ月ぶりの更新があったのです。
内容は体調やお身内の不幸などでしばらくお休みされていたこと、それによって命や人生について考えさせられたことなどで、子どもがいない私としても大変身に染みるお話でした。
そしてその中に、とても惹きつけられる一文を見つけたのです。
森の散歩途中木々の間から冷たい風が頬をかすめて行きました。
とても不思議な感情が芽生えてそこに何か次元の違う森の精のような
森の生き物の形はなくとも何かが教えてくれているような感覚に陥りました。
この感覚。
「何か」に「教えられる」ような感覚。
コレ、私も似たような感覚に陥ったことがあるぞ。。と、古い記憶が蘇ってきました。
その感覚についていつか書き留めておきたいと思いながら、なかなか文章や言葉で表現するのが難しく、形にすることが出来なかったので、これを機会に備忘録として書いておこうと思います。
自分のための備忘録ですので自己満足のわかりにくい文章になるのと、動物の死に関する記述がありますので、感情が揺れてしまうかも…という方、もしくは単純にメンドセーナという方は遠慮なく飛ばしてくださいませ。
ヘリオプシス「ブレッシング・ハムダブロン」
では。
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モナルダ・パープル
私がまだ20代の頃、とある事情から当時飼っていたメスのハスキー犬を手元に置けなくなり、実家に預けることになりました。
時々オヤツを持って行ったり散歩をしたりしましたが毎日という訳にもいかず、若かったということを差し引いても未熟で、細やかな飼い主ではなかったと思います。
数年が経ったある日、父親から犬が倒れたとの知らせがあり、急いで動物病院に運び込みましたがもう緩和ケアしか望めないという状態でした。
獣医さんから選択肢のひとつとして提示されたのは安楽死。
12歳という大型犬としてはほぼ寿命に近い年齢と、癌の終末期であるということなどを鑑み、私は彼女がいよいよ苦しむようであれば安楽死を選ぼうと決め、獣医さんにそう伝えました。
事情が云々と言い訳しても、結局は力及ばず実家に預けてしまったことに変わりはありません。
詫びる気持ちで仕事終わりに毎日顔を見に行きましたが、そんな日々もそう長くは続きませんでした。
危篤の連絡が入り、最後の時間を彼女と過ごすため動物病院へ向かったのは天気の良い夏の日の夕方のこと。
病室には消臭効果があるという精油が焚かれているのですが、腫瘍が放つ強烈な匂いを抑えるには、その効果はほとんどなかったように感じます。
獣医さんはどのような方法で安らかに心臓を止めるかの処置の手順を説明したあと、準備のため病室を出て行きました。
再び獣医さんが病室のドアを開けて入ってくるまでのわずかな時間が、私たちのお別れの時間です。
動物病院内に設けられたホスピスの一室の、横長の低い窓からは併設されたドッグランを眺めることが出来ます。
横たわる動物からも外の景色が見えるようにとの優しさでしょうか。
はめ殺しの窓からは外の音はほとんど聞こえず、病室は静まりかえっています。
彼女の隣に座って顔を見ます。
時折上げるうわごとのような小さな唸り声と虚ろな目の中の眼振が、わずかに残る彼女の命を刻んでいるようでした。
窓際に横たわる彼女の体を撫でながら視線を外に移すと、夕陽に照らされた緑のドッグランに若い男性と犬の姿があるのに気付きました。
コーギーだったかな。
1人と1匹は楽しそうに一緒に走り回ったり、投げられたフリスビーを追いかけた犬が軽やかにジャンプしたり。
まるで発光するかのごとく、生きる喜びが全身から溢れ出るその姿と緑色の芝生が、明るいオレンジ色の夕陽に照らされてキラキラと輝いて見えました。
私は窓ガラス1枚で隔てられた生と死の光景が何だかとても不思議に思えて、今まさに去っていこうとする命と目の前の光景の対比に目が離せなくなりました。
ああ、そうか。
そういうことか。
そういうことなんだなぁ。
一体何が「そういうこと」なのか上手く説明する言葉が見つからず抽象的で申し訳ないのですが、私の中で何か腑に落ちるものがありました。
映画のワンシーンのような、生に満ち溢れたその光景があまりに眩しくて、私は艶のない彼女の薄茶色の毛皮を撫でながら、ただ、ぽろぽろと涙が止まりませんでした。
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20年ほど経った今でも、無音のホスピスの病室で見た窓ガラスの向こうの景色が、鮮やかに、まるで宗教画のような神々しさで脳裏に焼き付いています。
普段と違うその状況が、ほんの、ほんの、ほんの少しだけ、世の理(ことわり)のようなものを私に感じさせたのかもしれません。
まあ、そんなわかったようなことを言っても所詮は未熟者ですのでね。
錯覚・勘違いと、笑って聞き流していただけると幸いです。
unibabaさんの言葉から引用させていただいた、
「何かが教えてくれているような感覚」
「不思議な感情」
が、まさにこの時の感覚に近いと感じ、どうしても、自己満足でも良いからあの時の気持ちを書き残しておきたいと思い、引用のお許しをいただきました。
unibabaさん、誠にありがとうございました!
閑話休題。
夏を迎えた我が家の庭も今が一番の盛りを迎えています。
デルフィニウム・ギネバー
北海道の7月は百花繚乱、北海道で庭いじりをする人間にとっても生き物たちにとっても、一番充実した季節かもしれません。
バラ「シャルロット・オースチン」とカンパニュラ(モモバギキョウ)
熟したジューンベリーをついばみに来た鳥たちが賑やかに歌いながら枝を揺すり、大きな花粉玉をつけた蜂たちが忙しなく花から花へ飛び回る、「生」に満ち溢れた季節です。
シャスタデイジー「オールドコート」
頭上を上へ下へ、不規則に素早い動きを見せるカラスを何事かと注視すれば、必死に逃げる虫を空中でキャッチ!
ああ虫さん、逃げ切れなかったか…
虫から見ればとんだ災難、カラスから見れば今日を生きるための糧。
そこに善も悪もなく、ましてや私の感傷など入る余地もなく。
凍害で一時はダメかと思ったバラも、そんなことありましたっけ(°∀°)?とばかりに新しい枝を伸ばしています。
今は私のお腹の高さまで復活し、例年ほどではないにしても花までつけてくれるバイタリティ。
復活!クイーン・オブ・スウェーデン
素直に感服です。
生きているってスゴイことですね。
同じく凍害で丸裸になったアイスバーグも、花こそつきませんがオベリスクの高さを超えて成長しています。
…というか、1本だけやたらビヨーンと伸びているけど来年どんな姿に仕立てたらいいんだろう??
つるバラなので枝数が増えてほしいところですが、凍害から復活してくれただけでもありがたいことなのでワガママは申しますまい。
ベロニカ「ピンクダマスク」
そうそう。
普段は庭から採れるものをあまり活用しない私ですが(ブルーベリーの収穫くらい)今年は初めての試みをしています。
皆さま「ウスベニアオイ」をご存知でしょうか?
ウスベニアオイはコモンマロウ、又はブルーマロウとも呼ばれ、その花はお茶にすると美しい青色になり、更にレモンを加えると赤紫やピンクに変化して、「夜明けのハーブ」とも呼ばれているそうです。
そのウスベニアオイを何年も前に、ひょっとすると10年に近くなるかもしれませんが、私は園芸店から1株買って庭に植えていました。
その時はハーブティーがどうとかは一切関係なく、背丈が高めの植物が欲しかったのと主張し過ぎない感じの花が気に入った、というだけのことでした。
そしてウスベニアオイは順調にすくすく伸び、可愛らしい花を毎日咲かせるようになりました。
が、
それにしてもデカイ。
昔すぎて記憶はあやふやですが、ラベルに書いてあった高さの目安は150cmより高くはなかった気がします。
それがどう見ても2mに近い。
これが奥まった場所ならそれほど問題にはならなかったのでしょうが、植え場所が玄関ポーチの真横だったため玄関先にも郵便ポストにも倒れかかってきて非常に邪魔。
その年は紐で結えたり支えを入れたりで何とかやり過ごしたのですが、結局そのウスベニアオイは次の年の春に掘り起こしてサヨウナラしてしまいました。
他へ植え替えるにしても直根性のため、移植はムリだろなー、ということで。
本体がなくなってからも、残っているらしいこぼれダネから次々と発芽するので新しく更新することも可能でしたが、あの巨大な姿を思い返すとそういう気持ちにもならず、見つけ次第抜き取っていました。
ただ不思議なことに何年経っても、毎年新しいウスベニアオイが発芽してくるのです。
幼苗を見逃して多少大きくなったものがあったとしても、花なんて咲かせたかなぁ?と思うのに毎年必ず出て来る。
何という生命力か。
そのシツコ…もといド根性にほだされた、というワケでもないのですが今年はふと「育ててみようか」という気になり生えてきたものをそのままにしてみました。
ハイ。
ただ今既に私の身長(158cm)超え。
場所も以前と同じ玄関ポーチとポストの横(だってそこに生えてきたんだもの)です。
また2mになるつもりでしょうか。
それはさておき久々のウスベニアオイ、どうせなら自家製の青いハーブティーでも作ってみっぺか!と、珍しくヤル気になったので、最近は毎日花を摘んではドライにしています。
1日平均30〜40個の花を摘んで、洗って水分を取ったら野菜干しネットへ。
この生花が乾燥すると、こんなちっちゃくなってしまう…左右同じ数ですよ
ただし、どうも我が家のウスベニアオイは「ゼブリナ」という青味成分の少ない種類のようで、ネットにたくさん上がっているような濃い花色ではありません。
濃い花色のものは品種や個体差だったり、ゼニアオイというウスベニアオイの変種だったりするんでしょうかねぇ?
そもそも咲いている時からして、花びらがピンク(花の中心から放射状にやや濃い紫が入っている)なので、濃い色になるはずもないという気がしてきました。
ドライにすると綺麗な紫色になるんですが。
不安になってきたので試しに、今しがた初めてお茶として入れてみましたが、うすーいうすーい、青というよりは薄紫、もしくは淡ピンク。
ぬるーいお湯で、ほぼ水出しのようにいれたもので薄い紫色、花は40個使っています。
熱いお湯で入れた方(花は30個)は微妙なピンクっぽい色味です。
色があまり出ないのを前提として50cc程度の水とお湯で作ってみましたが、たくさんの花を使ったわりには残念ながら、「青いお茶」と言えるかどうか、少々無理がある結果となりました。
なんかガッカリ。。
…ハッ!!(`ロ´;)!!
そうだ!
レモン!!
まだレモンを入れていないじゃないか!!!諦めるのはまだ早い
青がイマイチなら、せめて色変わりくらいしておくれ。
祈るような思いで、瓶入り◯ッカレモンを1滴、2滴。
成功です!!
元の色があまりに薄かったのでどうなるか半信半疑でしたが、こちらはみるみるうちに綺麗なピンク色になってくれました。
いやあ、良かった!
実はアロマ教室のお姉さま方に少しずつ差し上げる約束をしていたので、もし青にもピンクにもならないシロモノだったらどうしようかと思いました。
味?
失望のあまりレモンを入れる前のものを飲むのを忘れてしまいましたが、なんか草の匂いがしました。
で、実験したふたつのマロウティーを混ぜて氷を浮かべるとアラ綺麗。
味はレモン🍋の味でした。
はるか遠くに薄甘い味もした気がしますが、それがお茶の味なのかレモンの作用なのかは今のところ判断がつきかねますので、それはまた別の機会に。
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今回は少しばかり脇道に逸れ、重たい内容も含んだ記事になってしまいました。
にも関わらず最後までお付き合いくださいました皆さま、感謝申し上げます。
どうもありがとうございました!
それではまた次回、どうぞよろしくお願いいたします♪