お盆が終わるのでひとりごと
※今日はちょっとしんみりモードですが 、もしよろしければお読みください。
※お盆に買ったお菓子とプラムを食べようとしたら、お菓子の賞味期限が昨日までだった。でも全然気にしないで食べた。おいしかった。
お盆の時期になると、いつものお墓参りの他に訪れる場所があります。
ずっと一緒に過ごし、先に逝ってしまった、人間ではない家族が眠るところです。
アイヌ語で「神の住む場所」という意味の名前がついた地にあるその場所へ、今年も行ってきました。
国道をはずれて山道を少し登ると、長い石段と紫陽花の咲くお寺の門があり、その脇を抜けたところにペットの為の霊園があります。
すでに多くの人が訪れているらしく、西洋のお墓のように地面に埋め込まれた小さな墓石には、たくさんの花が手向けられ、風ぐるまがくるくると回っています。
我が家は個別のお墓を持っていないので、合同納骨堂へ向かいます。
人間と同じようにロウソクに火をつけ、線香をあげ、手を合わせます。
缶詰やおやつがたくさん供えられていて、あー、ウチも何か持ってきたらよかったな、と思いますが後の祭り。
(気が利かなくてゴメンよ…)
この合同納骨堂の中には、飼い主さんが撮ったペットたちの写真が壁いっぱいに貼られていて、一緒に過ごしてくれた感謝の言葉が書き込んであったり、手紙が添えられていたりします。
あまり見ているとウルッとくるので、長くはいられません。
雨の中、お参りの人たちは途切れずやって来ます。
愛した小さい家族に会いに来る人びとの姿は、少し寂しそうですがとても優しく見えます。
最後を看取るのは悲しくつらいですが、彼らと暮らした時間は語り尽くせない宝物になっています。
『死んでしまうことを考えるとつらくて飼えない』人の気持ちは痛いほどわかります。だって本当に悲しいですから。
『あの子が忘れられないから、もう次の子は飼えない』、忘れられるわけがありません。
でもまた、生きている時間を共有したくて新たな子たちと一緒に暮らす、私のような人間もいます。
数年前、20年近くを一緒に過ごした猫や犬が、病気や老衰でひとり、またひとりといなくなって、とうとう誰もいなくなってしまいました。
彼らを飼い始めた若い頃なら、20年先の心配などしていませんでした。
でもそれなりの年齢になった今、これから新しい子を迎えるのはちゃんと最後まで面倒を見られるか不安なので躊躇していました。
しかし、家の中に猫のシルエットがないのは寂しいもんだなぁ
そんな時、以前お世話になっていた動物病院から久しぶりに電話がありました。
『トビーさん、野良ちゃんを保護したんだけど飼わない?』
顔だけ見に行くよ、なんて、もう勝負はついています。
こうして『のんの』はうちの子になりました。
歯を見た獣医さんは、まだきれいだから若いと思うと言います。だから当時は1〜2歳だったのかなと推測しています。冬が厳しいのもあり、このあたりの野良の平均寿命は良くて3〜4年くらいだと聞いた事があるので、やっぱりこのくらいの年齢でしょう。
脚を腫れあがらせた彼女は、自分で動物病院の前に来て保護されました。獣医さんが怪我をしていた脚を治し、避妊手術を施して、彼女はピカピカになって我が家にやって来ました。
秘技『ごめん寝』
やっぱり家の中に猫のシルエットがあるのはいいもんだなぁ
今は主人にべったりの甘えん坊ですが、私のことはどうでもいいらしく、態度が雲泥の差です。
たまに、私が連れてきたんだよ?と恩を売ってみるのですが、猫なので「なにそれ、知らなーい!」と言われます。
しばらく経った後、友達として「まりも」が来ましたが、繊細な彼女にとって、よく言えば天真爛漫、悪く言えばデリカシーに欠けるまりもは、少々迷惑な存在のようです。
なんでそんな険しい顔でこっち見るの…
昔飼っていた子たちのように、抱き合って眠ったりは無理そうですが、距離を取りつつも何とかやっています。
あー、また20年くらいは私も頑張って生きていかなきゃならないな
見送った小さな家族たちを思い出しながら、賞味期限の切れたお菓子を食べる、お盆の最後の日。
最後まで読んでくださった皆様、ひとり語りにお付き合いくださいましてありがとうございました。
えっ、私そんなデリカシーに欠ける?
うん、ちょっとね。