北のはしっこ惑星

北海道LOVEな道産子主婦が、花、自然、飼い猫、写真、その他何でも楽しむブログ

ばあちゃん with G(爺)

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

はてなで書き始めて1年以上過ぎましたが、初めて今週のお題に乗ってみることにしました。

「めっずらしーい!」

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なぜ急にそんな気になったのかというと、友人とメールのやり取りをしていたら、たまたま死んだばあちゃんの話が出たからです。

 

『最近、すっかり庭の話も、他所の観光ガーデンの話も北海道話もサボっているのにアチコチ手を出していいんかいな?』

 

と、チラリ頭をよぎりましたが、お題が偶然にも『おじいちゃん・おばあちゃん』でもあり(敬老の日があったので偶然というわけでもありませんが)、友人の

「いつまでブログ書いてるかなんてわからないんだから今書け」

というありがたいお言葉に、それもそうかと後押しされて備忘録として書くことにしました。

 

ついでに載せきれなかった写真を散りばめて挿絵代わりにすればいいじゃん⁉︎

脈絡ないけど( ´_>` )ハッハッハッ!

そうだそうだ、そうしよう!

 

ということで始めます。

 

**********

最初に言ってしまうと同居していた母方の祖父母とは血が繋がっていません。

それは母が養女だったからで、子どもを亡くした祖父母が子だくさんの親戚から一人もらった、という昔にありがちな話です。

それをいつ知ったかは記憶が定かではないのですが、小学生か中学生の頃、日常の普通の会話の中で母からさりげなく知らされました。

特にショックを受けるでもなく、

「へぇ、そうなんだー、でもじいちゃんばあちゃんに変わりないし」

そんな感じで答えたのを覚えています。

家の前の雑草にネジバナ発見!可愛い

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頑固で、かつ口が達者な子どもだった私は親戚のおじさんなどから、

「あのキツイばあさんと渡り合えるお前、スゴイな!」

などと褒められ(?)、似てるわー、と言われてたのに今更、血が繋がっていませんと言われても変わりようがないのです。

急な雨に傘を持って学校に来た祖母を見て当時の担任も、

「お前とばあちゃん、ソックリだな!」って言ってたし。

 

知らされた次の日からも特に変わりなく日々を過ごし、結局祖父母は、私がそのことを知っているということを知らずに、二人とも長生きして他界しました。

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祖父母は、これまた昔にはよくある話だと思いますが、親が決めた相手と結婚式当日に初めて会うというパターンだったそうです。

ばあちゃん曰く、

「次の日起きたらじいちゃんの従兄弟がたくさんいて、結婚したのがどの人なのかわからなかった」

というのを聞いて、昔ってすげーな!と感心したものです。

そのせいなのかあまり相性も良くなかったようで(笑)

 

小学校の低学年から高校卒業まで一緒に暮らしましたが、考えてみると祖父母が仲睦まじく会話している様子を見たことがありません。

私が今も思い浮かぶのは、10畳ほどの祖父母の部屋で、じいちゃんは近所のじいさんと囲碁を打ち、ばあちゃんはそれを我関せずとイヤホンをして、プロレスや素人民謡、時代劇や藤山寛美の新喜劇を見ている姿です。

 

そして私はそこに行って、後ろで囲碁を打つじいちゃんとミズノさんのことも気にせず、ばあちゃんと並んでオヤツを食べながらテレビを見るという、なんとも昭和感あふれる子ども時代を過ごしました。

ちなみにばあちゃんは、

「アメ玉をガリガリ齧るから嫌い」

と、理不尽にミズノさんを嫌っていて、子どもながらにミズノさん気の毒だなぁと思っていました。

ミズノさんは後に、無鉄砲なばあちゃんがやらかした室内事故に巻き込まれたりして、思い出に残るじいさんなのですが、本筋からズレますので今回は割愛します。

 

そして祖父母はひとつの布団に寝ていたのですが、並んで眠るスタンダードな方式ではありませんでした。

それぞれの頭はお互い逆になっていて、布団の両側から頭が出ている、というスタイルで寝ていました。

わかりにくいでしょうか?

うーん、じいちゃんの頭が北なら、ばあちゃんは南を向いている、ということです。

「それ、なんかおかしくない?」

うん、おかしいんだけど、キミもシンクから出てくれないかな?邪魔

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今考えれば不思議な寝方ですが、当時は全く疑問に思っていませんでした。

その方が窮屈ではない、という実利的な面からなのか、あまり存在を近く感じたくなかった、という感情からなのかは、今となっては知るすべはありません。

 

かと言って喧嘩をするわけでもないので、老夫婦というのはそういうものなんだろうと思って気にも留めず、私はじいちゃんばあちゃん両方と仲良く暮らしていました。

 

物静かで優しいじいちゃんは囲碁と古銭集めが趣味で、私はいつも、

「じいちゃん、古銭見せて」

と言って一緒に古銭を眺めながらウンチクを聞いたり、じいちゃんの白黒の囲碁の石をジャラジャラと意味もなくかき混ぜたり、花札の相手をしてもらったりと可愛がってもらいました。

 

しかしそんなじいちゃんの化けの皮が剥がれる時がやってきます。

私にはひたすら優しいじいちゃんでしたが、若い頃はかなりのヤンチャ者だったということが、私が成長するごとに少しずつ暴かれていきました。

 

ばあちゃんのアルバムを一緒に見ていると、明らかに親族ではない綺麗な着物の女性の写真が貼られていて、

「ばあちゃん、これ誰?」

と聞くと祖母は、

「これ?じいちゃんの愛人」

とこともなげに答えました。

「芸者さんで、大晦日にウチにやってきて、〝帰らない!〟って暴れてねぇ」

ふうん、と聞き流しましたが、どうしてワザワザ愛人の写真をアルバムに残していたのかまでは聞かずに終わりました。

聞いとけば良かった!と今更、野次馬根性が疼きます。

「じいちゃん、ひどくない?」

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巨人の星』の星一徹のようにちゃぶ台返しもしょっちゅうで、晩年の好々爺からは想像もつかない暴れ者だったじいちゃん。

お酒も一滴も飲まず、奈良漬けを食べるだけでも顔は真っ赤になり、納豆にも砂糖(!)をかけるほどの甘党で、お小遣いが足りなくなったと言えば自分の小銭入れから硬貨を渡してくれる、いつも囲碁盤に向かっていたおとなしいじいちゃん。

 

すっかりダマされていましたが、私はそれでもじいちゃんが好きでした。

 

けれど苦労人のばあちゃんは、じいちゃんに煮え湯を飲まされてばかりだったのですからあの素っ気ない態度も、並んで寝ないのもいたしかたありません。

 

農家の14人兄弟の一番上の子として生まれ、小さな弟や妹の面倒を見ながら家の手伝いをしていたばあちゃん。

子ども時代に飼い葉をザックザックと切る道具で、左の親指と人差し指の第一関節から上をウッカリ切り落としてしまい、短かい指だったけれど、裁縫も編み物も上手にこなす働き者。

戦争中は、外にいたらB29がスレスレの低空飛行で飛んできて、窓からサングラスの米兵がニヤリと笑ったのを見たと言っていましたが、きっとばあちゃんなら仁王立ちで睨みつけたんだろうと思うと、なんだかおかしい。

 

家のために必死で働き、好きでもない、プチ「火宅の人」であるじいちゃんと親の取り決めで結婚し、授かった一人息子を3歳で病気で亡くした祖母は、その後親戚から母を引き取り、当時としてはそれなりの教育を施して育て上げました。

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ワガママひとつ叶わなかった自分の人生を恨むことはなかったのだろうか?

じいちゃんは他にどんな迷惑をかけたのか?←興味本位です笑

 

大人になった今、無性にばあちゃんと話してみたいです。

 

それでも、先ほどチラッとお話したミズノさんを巻き込んだ室内事故のほか、働き者ゆえのやり過ぎで起こした屋根雪の大崩落事件など、結果的にじいちゃんが無謀なばあちゃんの行動に迷惑をこうむるパターンもあり、多少の痛み分けは出来ているのかもしれません。

 

後年、祖母よりも先に母がこの世を去り、施設にいる祖母に母が来ない理由をどう説明しようかと考えあぐねていた頃、天の配剤でしょうか、祖母の痴呆が始まりました。

 

「今日はママ(母は家族からそう呼ばれていたので)はどうしたの?」

「風邪ひいて来れないんだ、よろしくってさ」

「ホントに体が弱くて困ったもんだね」

 

いつもこの会話で5年余り、亡くなるまで祖母は母が来ないことをそれ以上追求することはありませんでした。

病弱な母はそれまでも体調不良や入院などで祖母のところへ行けなかったことも多く、時間の感覚が鈍くなった祖母は疑問に思わなかったのかもしれません。

ふとした時、ひょっとして母がもういないことに気づいているのかな?と感じたこともありますが、それはもう誰にもわからない、空の向こうです。

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血は繋がっていなくとも、ばあちゃんもじいちゃんも、私という人間を作ってくれた大事なルーツであり、人生の先生でした。

 

それにしても、もっともっと、ばあちゃんやじいちゃんの話を聞いておくんだったなぁ。

若かった頃は自分のことに忙しくて、大人やお年寄りの話になんて興味がなかった。

絶品だった漬物の作り方も聞いておけば良かったよ。

 

などとオバチャンになった今、激しく後悔しております。

お若い方、機会があったらお年寄りの昔話を聞いてみるのもいいかもしれませんよ!

ふぉっふぉっふぉっ!

 

しかし父母はどちらも真面目な人間なのに、父方母方、どちらもなかなかに破天荒な人物がいたようです。

父方の祖父は、荒くれ者の人足(にんそく)をまとめる飯場(はんば)の頭領で、家に何十人もの男たちが寝泊まりし、毎夜毎夜の喧嘩沙汰に祖母や賄いのお手伝いさんが刃物を隠したり、父はそんな空気に嫌気がさしていたそうです。

 

荒っぽい環境の中で育ったのにも関わらず、お堅い教師の道を選んだ父親の話も、そろそろちゃんと聞いておいた方がいいかもしれません。

 

そんな父も先日の敬老の日、曽祖父となる知らせを受けたようです。

8年の治療期間を経て、たった一人の孫娘(私の姪)が子どもを授かりました。

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やれめでたや。

 

遠く離れた街に住む彼女や生まれてくる子どもに、そんな先祖のこぼれ話をする機会が訪れるかはわかりませんが、もしもの時の語り部として、私が記憶に留めておこう。

そんな風に思っています。

 

ああ、ガラにもなくこんな真面目に語って、ちょっとだけ恥ずかしい。

次回はもっとふざけようっと!

 

長文にお付き合いくださいました皆さま、ありがとうございました!

ばあちゃんのこと、少しでも文章に残せてよかったです。

 

ではまた次回、よろしくお願いいたします♪

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「長話、疲れちゃったのよ…」